綴る人。

日々の感情を綴る。

シグニファインがない現代人。

「いつの間にか、呟きすら大声になってしまった」

どこかのCMでこんな言葉が使われていたのを記憶する。これは非常に興味深い言葉である。

本来「呟く」という行為は、発言の中で何かしらの背徳感や躊躇のようなものが存在しており、第三者等に伝わるか伝わらないかのボリュームで言葉を発するといったニュアンスがあるのではないかと私は思う。

現代はこの「呟く」という行為が、実際の声としてではなく、インターネットという媒体を通して、「世界中(※一部地域を除く)」に発信できる状況であるといえる。もちろんこの言葉を使用した某SNSが代表的な例であるのは間違いないが、このブログも然りである。

昨今は情報伝達手段の進化によって、個々人のプライベートやさまざまな事柄に対する意見が、いとも容易く遠くの地域や異なる国に発信できるようになっている。これこそが、「呟きすら大声になってしまった」原因であると考えられないだろうか。

些かの茶化しや揶揄でさえも、一部の人々から暴論や批判という言葉に勝手に変換され、気がつけば発信した自分から遠く離れて、凶暴な言葉となって一人歩きしていくという例も少なくはないのではないだろうか。

このような謂わば「言論大音量スピーカー」は、ネット依存との親和性の高さもあり、社会問題への発展も懸念されるであろう。

現代、恐ろしや。

自分自身が知らず知らずにスピーカーの前に立っていないことを、ただ祈るばかりである。

 

https://youtu.be/RpIeq5-YQKg