綴る人。

日々の感情を綴る。

理由を探したがるこんな世の中じゃ~POISON~


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人間は、何かと理由を探したり、突き詰めたりしたがるようである。

日常生活を営むなかで、自身が遭遇した事柄に対して理由や根拠、原因がなければどうなるか。人々は不安になるのかもしれない。謂わば心の拠り所のような要素があるのかもしれない。

職業柄、根拠や原因を重んじる職場は多く存在すると思う。なんの根拠もなく仕事を進めることは、業務遂行に支障を来すばかりでなく、事故にも繋がりかねないからである。

たしかに、そのような観点からすれば重要なものであるかもしれないし、それらを追求することによって得られるメリットも多くあることだろう。しかし、同時に少し堅苦しい気もする。

もとを辿れば、人間や他の生き物がこの世に存在していることも、この世がどうやって誕生したのかも、突き詰めてみればいまだに謎に包まれているのである。自分自身が何のために生まれて何をして生きているのかを即答できる人はアンパンマンぐらいだと思うし、そもそもアンパンマンは人間ではないのである。ジャムおじさんも、何のためにアンパンマンに新しい頭部を投げ飛ばしているのかを日々模索していると思えてならない。

何かが起こることには何かの因果が存在する。それは紛れもない事実ではあるだろう。しかし、なんでもかんでも理由や原因を求めて行動するのは、底のない穴を掘り続ける行為に似ているようで、私はその終わりのない作業に恐怖を感じるのだ。その突き詰めた先に何があるのかを想像すると、怖いのである。

大学生が「自分探しの旅に出る」といって海外に旅行に行くというのを耳にする。私はこの行為に対しても疑問を感じる。最初から存在などしない、いわば「架空」の生きている理由のようなものを探しに行っているように思えてならない。冷静に考えてみれば、一度も行ったことのない場所に、自分のルーツなどは存在しない。ガンジス川でバタフライしている自分などいるわけないのは分かりきったことなのだ。それを無理矢理こじつけて、「ここが私のアナザースカイ」などと宣うのは真実ではない。そこに本当の自分や存在理由などないのだ。

貪欲に知識を探求することや自分自身を見つめ直すことはとても良いことだと思う。しかし、その探求するベクトルを違えた状態で進んでしまうと、あらぬ方向へと進行してしまう危険も潜んでいると思う。

アナザースカイは、遠い異国やパワースポットではなく、本来は自分の心のなかに存在するべきではないのだろうか。