綴る人。

日々の感情を綴る。

怒りについて綴る。

感情というものは、他人とコミュニケーションを交わす際に便利な手段である。

同時に厄介なものでもある。

 

喧嘩をする。

「私は今、怒っています。」と表情や口調で表現。受けた相手もそのニュアンスを理解して、負けじと喜怒哀楽の「怒」を表現。磁石で例えるならば、N極とN極が反発しあうように距離を離していく。

 

人間同士のコミュニケーションは、感情や言葉のバリエーションが多いため、相手が何を考えているかを深く知ることができる。それ故に、表情の変化や語気の強さで、感情の起伏を仔細に理解できるため、受け手は強く反発したり落ち込むことさえある。

 

感情コントロールは実に難しい。その時は怒りに身を任せていれば気が済む。が、後々考えれば後悔することの方が多い。本当に多い。

「なんであの時あの言葉を言えなかったのか。」

「なんであの時あんな発言をしてしまったのか。」

時間が過ぎれば過ぎるほど、怒りに身を任せた行動はどんどん悪い方向へと舵を切っていく。

 

それならいっその事、感情がなければいい、と時々思うことがある。しかし、それでも駄目だ。

人間同士の関わりは、「あり」「なし」のような極端な関係性だけでは成立しないと思う。

そういった意味では、コミュニケーション時の"グレーゾーン"という領域は大事なのではないかと、そう考える。

何かと世間から嫌われがちなこの言葉だが、私にとっては「あり」か「なし」かよりも、ストンとくるようである。