綴る人。

日々の感情を綴る。

大小挫折のコラテラル。

自分が挫折した記憶が突然呼び起こされる時がある。正確に言えば、挫折したであろうその時点では、自分が「挫折したなぁ」と思うことはない。数年後にふと思い出して、「あの時のあの出来事は、所謂挫折というものを経験した時期だったんだろうなぁ」と思い返すのである。

 

大きく小と大に分けられる(排泄物のようである)挫折の経験ではあるが、殊更に記憶に残る大挫折は、二つある。

 

その一つは、高校時代の部活を途中で辞めた時に遡る。

中学時代に社会体育で空手をやっていて、そこそこ良い成績を残した私は、高校に入ってから「そうだ、ボクシングしよう。」とどこかの観光ポスターのキャッチフレーズのような気軽なノリでボクシング部に入部した。その時点では、新聞記事に大きな見出しで「○○(私の名前)が空手からボクシングへ、堂々の転身。ボクシング界へその名を轟かす!」というような、何とも傲慢で浅はかな誇大妄想を抱いていた。

が、いざ入部してみると、スパーリングでボコボコに殴られる毎日。同級生の部員では一番弱く、2年の時には後輩からもすぐに追い抜かれるような始末。いとも容易く自分の天狗の鼻はへし折られた。当時のアダ名は「ショボ」。いわずもがなではあるが、あえて説明すると、「ショボい」という言葉を言いやすくしたアダ名である。

そんなギリギリchop状態の自分にも、大きなチャンスが訪れたのである。県大会の決勝までこぎつけた私は、優勝候補筆頭の対戦相手と対峙していた。下馬評では相手に分があるとの意見が多く、身長差もあり、私も勝てる事はないだろうとやや捨て鉢状態で試合に臨んでいた。

が、文字通りボコボコに殴られていた私が、一縷の望みをかけて放ったパンチが相手の鼻骨に見事命中し、なんと対戦相手の鼻血が止まらなくなるというアクシデントが起きたのである。結果は鼻出血が止まらなくなり相手が棄権、すなわち私の勝利だった。その時は、まぐれであっても嬉しかった。練習を頑張ってきた甲斐があった(自他ともに甚だ疑問が残る結果ではあったが)と思った。

その後、県大会で良い成績を残した者は九州大会と全国大会に駒を進めるのであるが、あえて記した"良い成績を残した"というこの曖昧な出場条件が、後の途中退部という事件に繋がるということを覚えておいてもらいたい。

当時、優勝した者が九州大会、全国大会に出られると思い込んでいた私は、高いレベルの全国の選手たちと、対等に戦えるのか真剣に悩んでいた。でも、勝ったからには私に負けた相手に対してぶざまな姿は見せられぬと、柄にもない武士道精神のようなものを勝手に背負っていた。

ある朝のことである。私は先輩部員から地元の新聞を読みながら「お前の必死の顔、新聞に載ってるぜwww」と弄られていた。私の県大会の結果が、地元の新聞に写真とともにクローズアップされて載っており、その新聞を先輩が持ってきていたのである。私は少し恥ずかしい気持ちと、また芽生え始めた小さな小さな自信を胸に、その新聞を見ていた。

すると、突然顧問の先生が険しい顔つきで私に向かってきた。そして、こう言った。

「お前の試合内容が不甲斐ないから、○○(準優勝した相手)が九州大会と全国大会に出ることになった。情けないのう。お前が悪いんじゃ。」正確には覚えていないが、大体こういうような内容だったと思う。

よく、唐突な出来事に遭遇すると、「はじめは何が起こったのかよく分からなかった」という言葉をニュースなどで聞くことがある。あの時の顧問の先生の言葉は、まさにその「しばらく何が起こったのか分からない」状態にさせるに絶好の言葉だった。

顧問の先生は、私のように試合の勝利によって上の大会に進めるものだと思っていてくれていたのかもしれない。が、結果は異なり、苛立ちの矛先を当事者である私に咄嗟に向けたのではないか、と今の私はそう考えている。

しかしながら当時の私には、その顧問の先生から浴びせられた言葉が、試合に出られなくなる事よりも精神的なダメージが大きかった。芽生え始めた小さな小さな自信が、よりによって顧問の先生によって蹂躙された瞬間だった。

その後も階級を変更して、減量に挑戦したが、結果はついてこず。最終的には目標体重まで絞ることができず、出場する予定だった試合を欠場。そこでもすったもんだあって、試合には出ずに出場選手のグローブを装着する係になるという謎の顛末を迎えるわけである。

本当は自分が出場する予定だった試合に、自分はサポート要員でその試合に出ている。私は何をしにこの場に来ているのだろう。

私の心は夏模様、ではなく、完全に折れていた。そこで、部活を途中退部した。

 

つい最近までこの話は「思い出したくない過去」として私の心にこびりついていた。しかし、今ではこの経験こそが、自分自身の傲慢さや過信を客観視できる貴重な記憶であるのかもしれないと、思う。

 

二つ目の大挫折もあるが、もうめんどくさいからこのくらいにしておこうと思う。

 

今の自分には、自信という花は根ざしているのか。大輪の卑屈さの花の中に、一輪でもいいから、自信という芽が顔を覗かせていることを願う。


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